鍾乳苑の中にやってきました。食堂の写真です。

何だか雑然と物が残ってます。冷蔵庫もありました。きもの星野でひどい目に遭ったのに(あれはホントにひどかった)、懲りずに扉を開けてみましたが、たいした物なし。ホッとしました。
前回の記事で、この廃墟にはよく分からないことがあると書きましたのでそれについて少々。
松、竹、梅といったお決まりの部屋名以外にも、桔梗やらなんやらの部屋があり、それぞれを写真に納めていきます。んで、とある部屋で本の山に出くわしました。

文庫本は松本清張や高木彬光などミステリー系が中心、エラリー・クイーンなんかもありました。問題は文庫の発行年度と週刊誌。週刊宝石とか廃刊になった物もたくさんありました。ところがないのです。何が?それはですね…。
宿に残っている物を見ていると民宿を経営していたのは八〇年代後半くらいまでと思われます。旅館の消火器の使用期限が過ぎていたらマズイですよね。消火器の期限は八四年。
文庫本の発行年度は一九九〇年くらいがほとんど。それに対して…

右側に移っている週刊読売の表題が見えますでしょうか。これはどう考えても九〇年代後半にならないと現れ得ない記事ですわな。地下鉄サリン事件が九五年のはずですから。それから別の部屋では…

リサイズしてしまうとよく分からないのですが、
一九九八年のカレンダーです。
つまりここには、一九九〇年初頭以前と一九九八年の生活痕跡があるにもかかわらず、一九九〇年から約一九九七年にかけての生活の跡が見当たらないのです。どうなってるんですかね、見当もつきません。一説には無人化した後、九八年頃に野良人が住み着き、すぐにいなくなったとかですか。

こんな感じで結構生活感も残っていたりするのですが、動物の糞害が激しく到底住める状態ではありません。

事情を知るのは看板だけですか。道路脇に見えるように設置されていた物なのでしょうが、うち捨てられていました。哀れなるかな。
書き足したいことがあるので、鍾乳苑に関する記事は次回まで。
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テーマ:日帰りお出かけ - ジャンル:旅行
- 2008/11/28(金) 21:01:11|
- 廃墟
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